2019年10月28日

宝の箱のパスワード49

創価学会(そうかがっかい)で
仏法(ぶっぽう)を学んでいくなかで、
不軽菩薩(ふきょうぼさつ)という菩薩の話しが、
でてきます。

不軽菩薩(ふきょうぼさつ)というのは、
どんな人間であっても、
すべての人の中に
仏性(ぶっしょう)という、
仏(ほとけ)のように
清(きよ)らかで、強くて、素晴らしい、
最高の生命があることを説くために、
すべての人間を、
礼拝(れいはい)して回ったという菩薩(ぼさつ)です。

そのため、みんなから、
うさんくさがられ、バカにされ、
石を投げられたり、たたかれたりして、
迫害(はくがい)を受け続けました。

けれど、その行動は、
仏法(ぶっぽう)から見ると、
人間の生命を最大に尊敬(そんけい)する
正しい行動だったので、
その功徳(くどく)によって、
不軽菩薩は、宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、
成仏(じょうぶつ)し、
後の世に(来世・未来世に)、
釈尊(しゃくそん/釈迦・ブッタ)となって
生まれてきたという話しです。


ようするに、不軽菩薩は、
釈尊(しゃんそん・ブッタ)の、
過去世(かこせ)の姿だったということです。


その不軽菩薩の話しから、
以前、創価学会の先輩(せんぱい)が、

『人は、実(じつ)は、自分を写す鏡(かがみ)なんだ!』

という話しを、してくれた。

どういうことかというと、
人の中にある仏性(ぶっしょう/仏の生命)を
たたえるということは、
実は、自分の中にある仏性(仏の生命)を
たたえていることになり、
人を、たたえ、尊敬(そんけい)することが、
実は、自分自分を、たたえ、尊敬することになり、
自分を、自分の人生を、
幸せの方向に、
大きく、開花(かいか)させていくことになる!
ということです。


人というのは、
自分の心に反応(はんのう)して、
自分の心に、対応して、
自分の心の鏡(かがみ)のように、感情や、しぐさや、
行動を、起こしていくという
一面(いちめん)もある。

その人を、バカにして話していれば、
それは、伝(つた)わり、
相手は、
冷淡(れいたん)な態度で接(せっ)してきます。

こっちが、尊敬して対応(たいおう)していると、
相手も気持ちよくなって、
こちらを尊敬してくれます。

そう、単純(たんじゅん)には、いかないけれど、
営業にしても、
こっちが、自信なく話していれば、
相手は、軽(かる)く、あしらってきます。

こっちが、自信を持って堂々(どうどう)と話していると、
相手は、
「そうかなあ!」と思って、
乗(の)る気で、対応してくれます。


単純なようで、あたりまえのようだけれど、
確かに、そうだと思います。


『人は、自分を写(うつ)す鏡!』


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・


人を尊敬して接すれば、接するほど、
自分も、尊敬される。


それは、なんとなく、わかる。


けれど、ここには、無理(むり)がある。


いくら、人を、心から尊敬しろと言われても、
なかなか、実際には、
難(むずか)しいこともあると思う。

また、ネックとして、
人を尊敬するためには、
自分の存在(そんざい)も、尊敬していなければ、
なかなか、できない!

自分の存在に大きな価値(かち)があり、
自分が生きているということに、
大きな尊敬を感じることができなかったら、
確かに、人を心から尊敬するということも、
できないと思う・・・。


そこが、ポイントだと思う。


自分を、心から、尊敬しているという人は、
なかなか、いないと思う。

また、心から、自分は尊敬できない!
というのが、本音(ほんね)だと思う。

自分を、尊敬するというのは、
ちょっと、おかしな表現かもしれないけれど、
自分は、本来(ほんらい)、
ほんとうに強くて、やさしくて、
あったかくて、魅力(みりょく)があって、
どんなこともに負けない、素晴らしい人間なんだ!
と、わからせてくれる、

「何かの存在」

が、必要となるのは
事実だと思う。


普通、人間は、鏡(かがみ)を見て、
自分の姿を、認識(にんしき)する。

自分は、こうなんだ!と、
鏡を、見ることによって、
わかることが、できる。

けれど、それは、見た目、
表面(ひょうめん)上のことにすぎない。

これが、もし、
自分の生命の、心の底(そこ)まで
見ることのできる鏡があったら、
自分の生命が、どういうものか?
認識することが、できる。

その、自分は、ほんとうに強くて、
やさしくて、あったかくて、魅力があって、
どんなこともに負けない、素晴らしい人間なんだ!と、
自分の生命の底から、
認識させてくれる『鏡(かがみ)』が、
実は、
創価学会が祈る対象(たいしょう)として
信望(しんぼう)している、

『ご本尊(ほんぞん)』

なんです。

※ご本尊とは、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
仏(ほとけ)の生命を文字で表現しきった、
紙などに描かれた曼荼羅(まんだら)です。


最強最高の自分を写しだす鏡!
それが、『ご本尊(ほんぞん)』!!


その、ご本尊は、仏(ほとけ)の生命そのものを、
現(あらわ)している。

仏(ほとけ)の生命というのは、
強くて、あったかくて、やさしくて、
絶対に負けない、
最高に輝(かがや)いた魅力的な、
しかも、無限の可能性とエネルギーを
秘(ひ)めた生命なんだけれど、
それは、そのまま、
『自分自身の生命を、現(あらわ)してもいる!』

すなわち、
強くて、あったかくて、やさしくて、
絶対に負けない、
無限の可能性とエネルギーを秘(ひ)めた、
最高に素晴(すば)らしく輝いた生命が、

『自分の中』に、
『明(あき)らかに、存在している!』

ということを、
伝えるために、『ご本尊』は、ある。

ご本尊自体が、
必ず、幸せになっていける、
必ず、悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)えていける、
必ず、夢や希望をかなえていける、
最高にすばらしい本当の自分自身を、
そのまま映(うつ)し出した、
『鏡』
だということです。

だから、『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる時、
『ご本尊』という、『自分の鏡』を見て、
強くて、あったかくて、やさしくて、
絶対に負けない、
最高に輝いた魅力的な自分自身を、
思い出し、感応(かんのう)して、
実際に、そういう生命が、
自分の中から、わき上がってくる。

そのことによって、
本来の自分に戻(もど)ることが、できる!!


その『本来の自分に戻る』とは、
無限の可能性とエネルギーを秘めた自分自身に、
戻ることができると、いうことです。

そして、
その自分の中から湧(わ)き上がってきた、
本来の、無限の可能性を秘(ひ)めた
生命の力によって、
悩みを解決できたり、
夢や希望をかなえていけたり、
するわけです。

また、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
自分の中から、本当の生命の尊厳(そんげん)が、
わき上がってくるので、
そのことによって、
自分と同じように、
人も、尊敬することが、
できるようになってくる!
と、いうわけです。


日々、『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえていくことによって、
それが、自然に身についていき、
無理をしなくても、
自然に、人を、尊敬する接(せっ)し方が、
できるようになっていくということです。



少し、話しましたが、
ご本尊と南無妙法蓮華経のスゴサは、
悩みや問題が解決できたり、
夢や希望をかなえていけたりして、
計(はか)り知れない可能性がありますが、
ご本尊に南無妙法蓮華経を
となえていくことによって、
自分の中から、
最高の尊厳(そんげん)がわきあがり、
また、人も心の底から、
自然に尊敬できるようになっていく!ということも、
この、『ご本尊』と、
南無妙法蓮華経の、
スゴサだと思う!


ともかく、人は自分を写す鏡・・・。

人が、自分を写す鏡だとしたら、
その鏡を、最高に素晴らしく、
魅力的な鏡にするのが、
『ご本尊』の存在であり、
自分も、人も、
最高に尊敬する行為(こうい)が、
『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経を、となえることに、
なるんだと思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・
posted by タカパス at 19:19| こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月17日

宝の箱のパスワード42

昔、子供のころ、
学校に、
すごく魅力(みりょく)がある先生が、
いた。

なぜだか、
その先生がいるだけで、
楽しくなった。

子供との接(せっ)し方が、
すごく、うまくて、
その先生に話しかけられると、
うきうきしてきて、
とっても、楽しくなった。

子供心に、不思議(ふしぎ)に思って、
なんとなく、
その先生を、まねて、
その先生みたいな感じで、
友達と接するように
してみた記憶(きおく)がある。

そうしたら、なんだか、
調子(ちょうし)が良くなってきて、
楽しくなった記憶があります。

もっとも、子供だから、
長続きは、しませんでしたが・・。


今、考えてみると、
その先生は、
自分に対(たい)しても、人に対しても、
心の、持(も)っていきかたが、
すごく、
じょうずだったんだと思う。

その心の持っていきかたを、
まねしたから、
子供ながら、
自分も、
自分の中から、良(よ)い心を
引き出すことができて、
調子よく、楽しくなったんだと思う。


何を言いたいかというと、
人が、尊敬(そんけい)するような人物の、
素晴らしい心と、表現が、
他の人には、無(な)いということは、
決して、無い!ということです。

人が尊敬するような、
素晴(すば)らしい人が出す、
素晴らしい心と、パフォーマンスは、
すべての人間の中に、ある!
と、いうことです。

違(ちが)うのは、一方(いっぽう)は、
自分の中にある素晴らしい心を、
自然(しぜん)に出しているんだけれど、
もう一方は、その自分の中にある
素晴らしい心を、
出せない、出そうとしていない!
ということだと思う。


自分の中にある、
素晴らしい心を出すスイッチを、
幸せな人は、
いつも、押(お)している。


けれど、不幸な人は、
素晴らしい心を出すスイッチが、
あるにも、かかわらず、
そのスイッチを押していないし、
決して、押そうとはしない。


その違いだと思う。


すべての人間の中に、
すべての心を引(ひ)き出す
スイッチは、備(そな)わっている。


問題は、人生において、
どのスイッチを押すかということだ。


その押したスイッチの違いによって、
人生は、
大きく変わっていく!


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・

心のスイッチの、
ほとんどのスイッチは、
自分の努力次第(どりょくしだい)で、
押すことができる場合もあると思う。


けれど、
ひとつだけ・・・!


自分の努力だけでは、
どうしても押せないスイッチがある。


それが、

『仏界(ぶっかい)の心』

のスイッチだ。


仏界の心とは、
仏(ほとけ)のように、
強くて、あったかくて、やさしくて、
幸せに、あふれていて、
心が満(み)たされ、
それでいて、
何者にも負(ま)けない、
最強にして最高の心の領域(りょういき)です!

具体的に言えば、
自分に降(ふ)りかかってくる、
さまざまな運命の嵐(あらし)、
その、どうしても避(さ)けがたい、
困難(こんなん)の嵐、
普通だったら、どうしても
乗り越えることが、できないような、
宿命(しゅくめい)の嵐、

そのどんな困難な運命(うんめい)の嵐さへ、
乗り越(こ)え、
打ち勝つことができる、
最高にして最強の心が、
仏界(ぶっかい)の心です。

この『仏界の心』だけは、
現実世界の中で、
どんな努力をしても、
それだけでは、自分の中から、
引き出すことは、できない!

なぜかといえば、
その仏界の心を引き出すための、
スイッチが、わからないから、
引き出しようがない!
と、いうことです。


逆(ぎゃく)に言えば、
そのスイッチが、わかれば、
その仏界の心を、
引き出すことができる!


その仏界の心を引き出す、
スイッチが、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!』

と、いうことです。


残念(ざんねん)ながら、
南無妙法蓮華経を、となえる以外、
この仏界(ぶっかい)の心を引き出すことは、
できません!


日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
その仏界のスイッチを、
すべての人間が
押すことができるように、
南無妙法蓮華経を、残(のこ)されたんだと思う。


そして、仏界のスイッチを押す、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
一点の曇(くも)りもなく、
まっすぐに実践しているのが、
創価学会(そうかがっかい)なんだと思う。


それは、
悩みの解決や夢の実現など、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
世界中の創価学会の人たちに起こった、
あまりにも沢山(たくさん)の
幸せのドラマが、
明確(めいかく)に、ありありと、
物語っている・・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・
posted by タカパス at 14:09| こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

宝の箱のパスワード24

先日、聖教(せいきょう)新聞にのっていた、
娘が水頭症で生まれ、
医師に、
「長生きできないでしょう」
と言われながら、
創価学会(そうかがっかい)の信仰で
乗り越(こ)えてきたという、
体験の話しをしたんだけれど、

その学会員さんが、
こころの支(ささ)えとしていた、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)
の言葉がのっていました。


それは、


『だれであろうと、

 その人が、

 その人であるというだけで、

 かけがえのない存在なのである。』


という、言葉です。



この言葉を読んで、
正直、ぼくは、
感動してしまいました!


なんという、あったかい言葉なんだろう!

なんという、愛情のこもった言葉なんだろう!

なんという、人間愛なんだろう!

なんという、楽観主義(らっかんしゅぎ)なんだろう!

なんという、広い、こころなんだろう!


そこには、一切の差別(さべつ)がない!
人間であることの、かぎりない希望と、
かぎりない愛情と、
人間であることの強さと、
人間であることの確信(かくしん)と、
ぜったいに、
ひとりも不幸にはしないという、
強い強い、決意が、
宇宙のように、にじみでいる!


創価学会の人だったら、
わかると思うけれど、
こんな、素晴らしい、
池田先生がいること自体(じたい)が、
もう、
なによりも、幸せだと、
思った!


そして・・・
池田先生という人生の師匠(ししょう)を通して・・・・
言葉にすることのできない感動が、
こころの底(そこ)から、
深く、
深く、
こみあげてきた・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・


言葉では、言いあらわせないことが、ある。

言葉では、言い尽(つ)くせないことが、ある。


なぜ、感動するのかは、わからない。
人間は、感動する生き物なのかも、しれない!
人が、どんなに、
非難・中傷(ひなん・ちゅうしょう)しようとも、
人が、どんなに、バカにしたとしても、
真実は、必ず!!
伝(つた)わってくるからだ。


それが、感動なのかも、しれない!


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる音律(おんりつ)は、
全宇宙に、とどくと、
いう。

南無妙法蓮華経を、となえる音声(おんじょう)は、
全世界に、
伝わるという。


そして、本当に民衆のことを、思い、
本当に、民衆の、世界の人々の幸せを
願っている人間の心は、
必ず、伝わるものだ!


それが、
南無妙法蓮華経の音声(おんじょう)なのかもしれない!


池田先生という、
師匠を通して、わかること!


それは、池田先生は、正しい!


ということだ。


それは、そのまま、
創価学会が、どれだけ素晴らしく、
どれだけ、正しいかという
証明につながり、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰が、
どれだけ、正しいかの、
証明になっている。



感動は、かくすことは、できない!
感動は、ウソを、つかない!
そして、感動は、
真実と、直結(ちょっけつ)している。


言葉にすることのできない感動が、
伝えてくれるもの!

それは、


『創価学会は、明(あき)らかに、確かに、正しい!
 この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
 人間においても、
 生命においても、
 理論(りろん)においても、
 完璧(かんぺき)に正しく、
 すべての人に、
 真実の幸せを、もたらす・・・!』


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・
posted by タカパス at 11:21| こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする