2020年03月20日

宝の箱のパスワード55

英語で、「invoke」という言葉があります。

「invoke」は、発動(はつどう)する、行使(こうし)する、とか、
祈願する、祈る、という意味がある。

そのほか、「invoke」には、
「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」などの意味もあり、
いわば、「invoke」は、
ロールプレイングゲームなどで、
魔法獣(まほうじゅう)を召喚するといったところだろうか・・。


「invoke」という言葉は、
キリスト教から来ていると思うけれど、
これは、なかなか、おもしろいと思った。

最初に言ったように、「invoke」には、
祈る、祈願(きがん)する、という意味がある。

ただし、このキリスト教から来ている
「invoke」という言葉の「祈る」「祈願する」は、
「invoke」の他の意味でもある、
「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」
という意味からもわかるように、
自分の外にあるものを呼び出す。
自分の外にあるものを、もらい受(う)けるという
意味合いになってくると思う。


自分の中にはないものを、神様(かみさま)などから、
ほどこしてもらう!
というところだろうか・・・。


だから、キリスト教の「祈る」「祈願する」というのは、
自分には、幸せになる力(ちから)がないから、
自分とは、かけ離(はな)れた存在である神様に、
ひたすら、おすがりして、
ほどこしてもらう・・
といった意味合いが強くなってくる。


こういう自分には幸せになる力がないから、
自分の外から、
幸せになるための力(ちから)をもらう。

環境(かんきょう)や人や権力(けんりょく)など、
自分の外にあるものによって
幸せになろうという生き方のことを、

『外道(げどう)』

と言います。


だから、

環境がこうだから、幸せになれない。

あの人がこうだから、幸せになれない。

など、
幸せになれない理由を、
自分の外に並(なら)べ上げたりする生き方は、
『外道(げどう)』の生き方だと、
言えます。


さっきも言ったように、キリスト教は、
神(かみ)という自分とは、かけ離れた存在(そんざい)に、
幸せを祈ります。

自分には幸せになる力(ちから)がないから、
神におすがりすると、いうことです。

だから、キリスト教は、
『外道(げどう)』の宗教だと言えます。


ところが、
創価学会が実践(じっせん)している
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)は、違う!!

創価学会(そうかがっかい)の
南無妙法蓮華経の仏法では、

『自分自身が仏(ほとけ)なんだ!』

と説(と)く。


『あなたの中に、素晴らしくて最高の
仏(ほとけ)の生命が、あるんだよ!』


と説く。


『だから、自分の中から、
素晴らしくて偉大(いだい)な仏(ほとけ)の生命を引き出して、
幸せになっていくんだよ!』


と説く。


こういう生き方を、

『内道(ないどう)』

と言います。


だから、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
『内道(ないどう)』の宗教だと言えます。


ここに、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法と、
その他の宗教との
決定的な違(ちが)いがあります。


神様や仏様など、
自分とは、かけ離れた存在に、
おすがりする、おすがり信仰(しんこう)・・。

ここには、はっきり言って、
希望はありません。

神や仏などを、
あがめれば、あがめるほど、
人間との距離(きょり)がどんどん、離(はな)れていく。

そして、人間は、
どんどん卑小(ひしょう)になり、
みじめな存在になっていく。

そして、精神的(せいしんてき)には、
神や仏など、
自分があがめるものの奴隷(どれい)のような
存在になってしまいます。


冷静(れいせい)に考えて、
このような状態で、
幸せになれるとは、思えません。


それが、日本にはびこる
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
神社信仰だと言うことも、できます。

また、はっきり言えば、
それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、
間違(まちが)った宗教であり、
間違っているがゆえに、
どんなに祈(いの)ったとしても、
逆(ぎゃく)に不幸になってしまいます。


それは、さまざまな形で、
不幸という結果が出てきてしまう・・
ということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・

「invoke」という言葉における、
「祈る」「祈願する」という意味は、
自分にないものを、外から呼び出す。

自分ではなく、
棚(たな)からぼた餅(もち)のように、
環境や人、外部の何かを呼び出して、
幸せになろうという
意味合いが強いと思います。


それに対して、創価学会における、
『祈る』という行為(こうい)は、違う!!!


創価学会における
『祈(いの)る』という行為は、
自分の中から、幸せになる力(ちから)を
呼(よ)び起こすんです!!


本来(ほんらい)、自分の中に、
必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
存在している!

その幸せになっていける仏(ほとけ)の生命を、
自分の中から呼び起(お)こし、
自分の中から、
強い強い生命力(せいめいりょく)を
湧(わ)き上がらせて、
幸せになっていくんです。

神様や仏さまに、おすがりするのではなく、
本来、自分の中にある無限(むげん)の力(ちから)を、
呼び起こしていく!


これが、創価学会での、
『祈る』という行為なんです・・・!


その内(うち)から溢(あふ)れる『祈り』の結果として、
自分の生命が輝(かがや)き、
蘇生(そせい)していく。

やがて、その蘇生した自分の生命の力によって、
さまざまな悩みを解決(かいけつ)し、
夢や希望をかなえて、
幸せになっていけるんです。

そして、蘇生(そせい)し輝いた自分の生命が、
まわりの環境や世界を照(て)らし、
環境や人、世界をも、
幸せに変えていくんです。


それが、創価学会の人たちの『祈り』です。


その自分の中から、
仏(ほとけ)の生命という
無限の可能性(かのうせい)と力(ちから)を、
湧(わ)き上がらせ、
自分の中から、悩みや問題を解決し、
自分の中から幸せを勝ち取っていけるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・
posted by タカパス at 14:17| 願い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

宝の箱のパスワード5

前に、
創価学会(そうかがっかい)の会合で、 
幹部の人が、 
『祈(いの)れば、かなう!』
ということについて、 
話してくれたことが、あります。 

『祈れば、かなう!』
というと、 
そんなバカなこと、あるか!!って、思うけど、 
これは、
「あたりまえのこと」なんだそうです。

祈るということは、 
自分が、願いを、かなえたいと思っていることに、 
一念(いちねん/こころ)が、
定(さだ)まるということです。 

ようするに、祈ると、 
一念(いちねん/こころ)が、変わっていく。
一念が、願いを、かなえたいことに集中するので、
こころが、願いを、かなえるほうへ、 
かなえるほうへ、向いていく! 
自分の全生命が、願いをかなえる方向へ、 
方向へと、活動を、開始する。 
だから、結果として、 
祈りが、かなってくる!


これは、生命としての、 
あたりまえの道理(どうり)だという話しでした。

確かに、そうだ! 
世の中には、 
祈りを、バカにするような人間もいるけれど、 
それは、本当は、浅(あさ)はかなんだと、思う。 


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、 
言っていた。
 
「祈りは、人間にしか、できない。 
そして、祈りは、人間として、 
もっとも、尊(とうと)い、尊極(そんごく)の行動だ!」

・・と。 

科学だけでは、人間は、傲慢(ごうまん)になる。 
逆に、単なる、神や悪魔を恐れるような、 
なにかを、崇拝(すうはい)する祈りは、 
人を、愚(おろ)かにしてしまう。

また、神頼(かみだの)みのような、おすがり信仰も、
棚(たな)ぼた的な希望、
宝くじのような希望を持たせるだけで、
その人を幸せにすることは、できない。

逆に、おすがり信仰は、その人の中から、
弱き命(いのち)、
悪(あ)しき生命を引き出す結果となり、
その人を不幸にしてしまう。

そうではなく、
人間を、より、人間らしくするための祈り! 
人間を、もっともっと、 
強く、偉大(いだい)にしていくための祈り! 
そういう祈りが、必要なんだと思う。


おそらく、人間を、強く、偉大に、 
人間らしくしていくための『祈り』が、 
仏法(ぶっぽう)には、あるのだろう。 

だから、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえると、 
より、人間らしく、より、おおらかに、 
その人が持つ、個性と、人間性が、開花していく。 

だから、創価学会は、 
人材が、全世界で活躍(かつやく)し、 
世界192ヶ国に、 
広がっているんだと思う・・・。 


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・
posted by タカパス at 10:56| 願い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月25日

宝の箱のパスワード3

前に、電車の中で、 
友人と立ち話しをしていた時、 
聞いた話しなんだけれど、 
その友人は、頭が良くて、優秀な人なんだけど、 
その人の知り合いに、科学者の人がいて、 
その科学者が、 
『どうしたら、願いが、かなうか?』
について、 
研究しているそうです。

その科学者の研究によると、 
なんか、アタマの前に、
スクリーンみたいなものを浮(う)かべて、
自分の願いを映像化すると、 
願いが、かなうことが、
わかったそうです! 

でも、それで、その科学者が、
悩んでしまったそうです。 

それは、
それで、願いが、かなうとしたら、 
ひとりで、願いがかなうことは、ありえないので、 
人にしろ、世界にしろ、すべてが、 
どこかで、つながっていることになってしまう! 
もし、それを、認(みと)めてしまったら、 
それは、もう、科学ではなく、 
宗教になってしまう・・!

それで、深刻(しんこく)に悩んでいるそうです・・。 

別に、それで、願いがかなうんだったら、 
悩むことは、ないと思うんだけど、 
ぼくが思うに、アタマの前に、
スクリーンを、浮かべるなんて、
そうとう、訓練(くんれん)しないと、 
できそうもない。 

願いを、かなえる前に、
スクリーンを浮かべる段階で、
挫折(ざせつ)してしまいそうです・・・。

それだったら、ぼくは、創価学会員らしく、 
『祈りとして、かなわざるなし!』
と言われている、 
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法連華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえるほうが、ぜんぜん、いい!! 

(※ご本尊とは、創価学会が、 
南無妙法蓮華経をとなえ、祈る対象としている、 
文字で表現された曼荼羅(まんだら)の本尊で、 
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その自分自身の生命に、
必ず、幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
そなわっていることを、あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。)

それのほうが、てっとり早いし、 
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえるということは、 
どんな人にでも、だれにでも、できる。 
しかも、そこには、生命の真髄(しんずい)と、 
核心的(かくしんてき)な法則があるので、 
本当に、その人の願いや祈りが、
かなっていく!! 

ここに、創価学会が実践(じっせん)する、 
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の
スゴサがあるんですが、 
行為(こうい)が、あまりにも単純で簡単なことなので、 
なかなか、人は信じることが、できない! 

偉大な法則(ほうそく)、偉大な宗教ほど、 
人や、能力を、選ばす、 
すべての人を、幸せにしていける!
ということです。 


だだし、南無妙法蓮華経が、
単純だということでは、ないです。 
南無妙法蓮華経が、
あまりにも、複雑でスゴイから、 
人は、理解できないし、
納得(なっとく)することが、できない! 

でも、信じて、南無妙法蓮華経をとなえれば、 
納得し、解決もする。 
それが、南無妙法蓮華経という
不思議な法則だと思う。 


ちなみに、祈りとして、かなわざるなし!
といっても、 
努力を、ともなわない無謀(むぼう)な願いは、
あんまり、 かなわないようです。 
にもかかわらず、 
真剣に、南無妙法蓮華経をとなえていくと、 
意思に反して、(自分の祈りとは違うのに・・) 
幸せになっていくから、
不思議です・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・

戸田二代創価学会会長が、 
「科学が、仏法(ぶっぽう)に追いつくには、 
あと、200年かかる。」
と、言っていましたが、 
仏法の正しさが、だんだん、 
証明されてゆく時代が来たんだと思う! 


けれど、科学で、
仏法が証明されるのを待(ま)っていたら、
命が、いくつ、あっても足りないので、 
ぼくは、仏法を信じて、 
ご本尊に、南無妙法連華経を、 
となえることにしようと思う!! 


・・・・・・・・・・・・・こころ(宝の箱の、パスワード)・・・・・・・・・・・・・
posted by タカパス at 13:31| 願い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする